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28 ソ連・モスクワへのフライト

以前に連載しておりました記事の中で、
「あるスチュワーデスの思い出」シリーズだけを
このブログLilac Daysに、また、「アラスカ夏紀行」
Lilac Days in Alaskaに復活させて参ります。
古い記事で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します
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 今日のようにどんよりと寒い日には、思い出すフライトがあります。
 モスクワへのフライトです。

 今でもロシアを訪れるにはビザが必要なようですが、ソ連時代、ビザを取るのは簡単ではなく、私達も一部の乗員だけが取り、一年間モスクワ経由のヨーロッパ線ばかりを飛びました。


 私は1991年のソビエト連邦崩壊以前しか知らず、今と比べる事が出来ないのですが、当時は旅行者にも様々な制約がありました。


 40km以上離れた場所に移動できない、空港や駅、橋その他、公共建造物を写真に撮ることが許されない… 入国時に持ち込める物にも色々と制限がありました。

 ホテルの建物は帝政時代の立派な建築でしたから、天井が高く、装飾もふんだんに施され、とても重厚で豪華なものです。
 しかし、ゴットンゴットン動く木製のエレベーター、冬でもスチームの殆ど効かない部屋、お湯もちょろちょろしか出ない風呂場、お尻のあたりが陥没したベッド・・・  全てが一時代も二時代も前です。
 そして備品は、寝具からタオル、トイレットペーパーに至るまで全て、清潔ではありますが、きわめて質素です。


 各階には家庭の台所のような一角があって、小母ちゃんが常駐しています。彼女たちは皆どっしりとした体躯に赤ら顔で、一見無愛想ですが親切です。
 朝ご飯はそこでピロシキを食べたり、頼めば卵料理も作ってくれます。
 ここでチャイと言えば、ジャムのたっぷり入った、ミルクを入れない紅茶の事で、銀やステンレスのホルダーをはめたグラスで出されます。
 私は、サモワールと言う装飾的な湯沸かし器から蒸気の立っている、ここの雰囲気が大好きでした。
 一階に大きなダイニングルームがあるのですが、メニューが少なく大変な無愛想、その上ものすごく時間がかかるので、乗員はあまり行きません。でも私はこの時代がかった、公式のレセプションでも開かれそうな雰囲気が好きで、良く一人で行ったものです。
 皆はどこで食事するかと言うと、乗員が共同で使える部屋があって、そこで簡単なお炊事をしたり、日本から持って行ったものを食べていたのだと思います。
 兎に角、街に出ても私達にとって当たり前のカフェやレストランなどない時代ですので、不満を言いつつも色々工夫して結構楽しんでいたのかも知れません。


 11月から3月までは、悪天候のために飛行機が離着陸できない事が頻繁にありました。
そんなときは
    東京やヨーロッパの始発地で待機、
    途中まで来て引き返し、
    東京ー広島くらい離れたレニングラード(今のサンクトペテルブルク)へ向かう、
    幸運なら、街から程近いVIP用の空港・ブヌクボに着陸して待機、
    そして既にモスクワにいる飛行機や乗員は、ホテルか空港に足止めです。
 いずれにしてもお客様は疲労困憊の上に、予定が狂う訳ですから大変です。


 数日滞在するだけの私達乗員ですが、一年間毎月となると条件的には大変な路線でしょう。けれど私にとってモスクワは、恐らく最も詩情を掻き立てられる都市だったと思います。


 四時ごろには暗くなり始める晩秋、毛皮の帽子をかぶった紳士たち、ネッカチーフで頭を覆った婦人たちが、霙の中を前かがみに家路を急ぎます。
 そして、固く凍てついた大通りに、延々と軒を連ねる石造りの古い建物・・・ 
 記憶の中では、全てがモノクロームの世界です。 


 けれど五月! 
 一斉に若葉が芽吹き、アカシア、ライラック、たんぽぽが咲き乱れ、頭上には青空があったことを初めて思い出します。


 そして九月!
 蛇行するモスクワ川に沿って続く遊歩道。その白樺並木が見渡す限り金色に輝いて、その下を歩いていた私は、我に帰ったら踊りながら飛跳ねながら走っていたことがありました。


 一般の庶民が外国人と個人的に親しくなる事が許されない環境でしたから、彼ら彼女らがどんな感情で生活しているのかを知ることは出来ませんでした。けれど、例えばホテルのフロント係りや店員、ウエーターなど、自分の通常の業務をこれ以上ないほど無愛想に行っている人たちが、ほんの一言で、親切なおじさん、おばさんに変るのです。
 私が初めてみる植物の枝が花瓶に生かっているのを見て、「ステキね、何て言う実ですか、」と話しかけると、言葉は通じなくても、あなたにあげると、惜しげもなく壷から出して持たせてくれるのです。
 また、お風呂場に備え付けのガラスのコップを壊してしまった事があるのですが、メイドさんを呼んで床の破片が危ないし、ごめんなさいね、と言うと、大丈夫大丈夫と言ってさっさと片付けて、私が怪我しなかったか心配してくれました。備品は全てしっかりと管理されていて一つでも無くなると大変だと聞いたことがあったのですが・・・


 下の写真は1976年のものです。


      改装中のプーシキン美術館


   当時、おびただしい数の巨大な像が薄暗い部屋の中に所狭しと置かれ、本来ならば
  
明晰なる青空の下に躍動しているであろうギリシャ、ローマの神々や英雄たちが気の
  毒に思えました。
   でも今ではこれらの学生達のためのレプリカも含め、膨大な数の所蔵品がすっかり整
  備されで展示されている様子をインターネットで知ることが出来ました。

          https://pushkinmuseum.art/museum/index.php?lang=ja
 


          11460225.jpg
    赤の広場に遊びに来ていた少年  
    あまり可愛いので、思わず駆け寄って写真を撮らせてもらいました。



 あれから32年? 42年?
 この国も世界も、劇的に変わりました。政治、経済、科学技術・・・ 
 文化の壁は? 人種の壁は? 宗教の壁は?
 そして、私達の心の中の善悪の壁、全てが取り除かれる日がいつか来ることを信じています。


 


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めぎ

76年って思い出を振り返ればつい昨日のような気がしますけど、ちゃんと計算しないとあれ?何年前?と思ってしまうほど昔になりましたね。
もとこさんのいらしていた頃のモスクワ、うちのドイツ人が行ったことのあるモスクワ、その頃のモスクワは今よりいっぱい制限があったけれど、今よりずっと異国情緒があったかも知れません。うちのドイツ人はその時の思いでを大事にしていて、ロシアへ行きたがりません。
今年がもう2019年であることにふと愕然とします。私がモスクワでビザなしトランジットを経験したのも2012年で、もう7年も前です。そのときに、以前は空港で撮影できなかったものだとコメントくださいましたね。その時の記事を見てみたら、今はもうブログを辞めてしまったらしい方がたくさんコメントくださっているのですよ。本当にときはあっという間に過ぎていきます。
by めぎ (2019-01-14 08:27) 

もとこさん。

めぎ様、本当に時はあっという間に過ぎていきますね。昔のことに思いを馳せていると、自分が今何歳なのか、あれは五年前のことか二十五年前のことか、訳が分からなくなって行きます。私ぼけたのかしら・・・
一日も欠かさず、何年ですか?継続していらっしゃるめぎ様、ギネス級です。「時代の証言」としての価値があります。
by もとこさん。 (2019-01-15 22:21) 

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