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2、訓練フライト


 さて、訓練生として2週間実機でフライトし、1週間だけ再び訓練所に戻ります。そして試験をパスしていよいよ一人前として飛ぶことが出来るようになるのです。戻ってきた訓練所では、2週間の間の皆の冒険談に華が咲きましたが、その内いくつかご紹介しましょう。


 搭乗時の入り口でご挨拶していた同僚は、きれいな外人のご婦人が乗っていらしたので張り切って  ”Good morning,madam.” と言いました。するとお客様から返ってきた返事は
  「僕madamじゃないよ」  
 いつも麗しいレディーの装いの某有名男性だったのです。  
 真っ白く長い指、美しいしぐさ、貴婦人そのものだったそうです。


 またある同僚のファーストクラスでの食事サービス中の話し。某国の文化大臣ご夫妻の前にデザートワゴンを押して行き、ご希望をうかがいますと、大臣ご本人は苺に生クリームを所望なさいました。そこで空気圧で搾り出すクリームのチューブを押したとたん、びゃ~ とクリームが飛び出し、なんと大臣の禿げ上がった額にたっぷりと張り付いてしまったのです。一瞬氷のような空気が流れ、彼女は固まってしまいました。しかし次の瞬間に奥様がプ~ッと吹き出され、それをきっかけにご夫妻で大笑いして下さったとか。


 我が夫に被害の及んだ若い人の失敗を、笑いでフォローできる奥様、さすがです。けれど先輩は到着までハラハラし通しだった事でしょう。写真が無いのが残念ですが…


 こうして最後の試験も何とか終え、それぞれ割り当てられた路線へと飛び立って行きました。訓練所卒業の日上司が特別にシャンパンを開けてくださり皆で乾杯しましたが、訓練で試飲した時と違って、心行くまでその味を楽しむ事が出来ました。


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1970年のインターナショナルマーケットプレイス。
カラカウア通りはワイキキの向かいの、そうあそこです。
当時はこんなだったんですよ。


2016年に改装してこんなになったそうです! こちらは、閑散とした当時のアラモアナ付近。
yjimage.jpg 8748972.jpg 


 そして、バンコクの寺院を守る巨人(ワットプラケオで)
  8748573.jpg 今も健在でしょうね。


 


訓練生としてフライトした先は、ホノルル、バンコク、香港その他。
そしてまだ国際線だった、復帰前の沖縄。
      


つづく              


 


  

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共通テーマ:旅行

1、さて、本題に

以前に連載しておりました記事の中で、
「あるスチュワーデスの思い出」シリーズだけを
このブログLilac Daysに、また、「アラスカ夏紀行」
Lilac Days in Alaskaに復活させて参ります。
古い記事で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します。


 私は1970年から1990年までの間、航空会社に客室乗務員として勤務しました。航空業界はもちろん、日本も世界も激動した20年間でした。
 旅の形も旅行者の意識も大いに変化したこの期間を、そこで青春時代の後半から、結婚、出産を経てに中年に差し掛かるまでを過ごした私個人の思い出を辿りながら、何回かに分けて描いて行きたいと思います。色褪せて行く写真と、薄れ行く記憶を頼りに…


 8742163.jpg      ジャンボの窓から見えるエンジン これはずっとあと、退職後の写真です。

 1970年は大阪万博の年であり、ジャンボジェットが初めて就航した年でもあります。海外旅行が庶民には夢のまた夢だった時代から、大量輸送時代へ移行して行った頃です。


 私達新入生は初フライトに先立つ6ヶ月余り、前年の秋から、来る日も来る日も各種の訓練と試験の連続でした。


 食事やお酒と飲み物に関する知識とサービス方法、検疫・出入国・税関その他の関連法、運航に関する国際協定、機体に関する知識、気象、各国の文化と観光、機内販売、英語、アナウンス、etc.etc.そして救急法と何より厳しい救難訓練。


 こうして列挙して見ると、何と多岐に渡った事を学んだのでしょう!そしていくら若いとは言え、どうしてこんなに沢山覚えることが出来たのでしょうか… 


   8742159.jpg


 2月に訓練生のバッジを着けてはじめてのフライトに出ました。ホノルル経由サンフランシスコ行きです。田舎の停車場のような羽田空港。ボーディングブリッジはありませんから、空港ビル近くの飛行機へはのんびりと歩いて向かいます。


 この5ヶ月後にジャンボ機がやって来るのですが、それでもしばらくの間の主流は、
DC-8と、上の写真の遠くに尾翼の天辺が見えるボーイング727です。

 

つづく


 

 

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スペインでの夏休み

以前に連載しておりました記事の中で、
「あるスチュワーデスの思い出」シリーズだけを
このブログLilac Daysに、また、「アラスカ夏紀行」
Lilac Days in Alaskaに復活させて参ります。

古い記事で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します。



 早速ですが、休暇のお話しを。


 娘がまだ小さかった頃、ひと夏、スペインはマラガの海岸に住んでいた友達の所に転がりこんでいたことがありました。地中海に面し、晴れた日には対岸にアフリカの見える村です。

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 好運なことに滞在中に夏祭りの一週間がありました。

 近郊の町や村から、沢山の人々がマラガの中心地を目指してやってくるのですが、ヨチヨチ歩きの子供からお年寄りまで、女性はみんなカラフルなドレスを着ています。そしてあちらこちらの街角や広場で踊り狂うのです。

 後ろにドレスの裾をからげたセニョリータを乗せたオートバイ達が、いっせいに町を目指して走ってゆく様子の、何とものどかでユーモラスなこと。バスの中も、町の角々も、ただでさえ明るい土地が、一層華やかな色彩の洪水です。



               8563037.jpgバスを待つ間


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     黒髪のセニョリータに駆け寄り、優しく手を取る少年



          けれど 次の瞬間には

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プロローグ カラチの子供たち 

以前に連載しておりました記事の中で、「あるスチュワーデスの思い出」シリーズを
このブログLilac Days 世界は私の学校に、
また、「アラスカ夏紀行」を Lilac Days in Alaska に復活させて参ります。

古い記事で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します。


もとこ


 1970年代半ば、私はよく南回りのヨーロッパ線に乗務員しました。
中近東が、今よりは少なくても表面的には、はるかに落ち着いて見えた頃です。
 バンコク、カラチ、テヘラン、クウェートなどに寄りよりしながら、アテネかローマまで行く便です。
 パキスタンのカラチには、便の都合上4泊くらいします。同僚とマイクロバスで観光に行くと、町には子供が多くてすぐに集まって来ます。中には小銭をねだる子供もいますがそれには応じず、片言の英語で話しかけてくるのに合わせていると、どこまでも付いて来ては写真に納まろうとします。
 皆本当にきれいな目をしていて元気でかわいいのですが、一様に深刻な眼差しをしていたのが、他のどこの子供たちとも違って見え、今でも記憶に残っています。


 今この子たちはどうしているのでしょう。元気でいれば、皆おじさんおばさんの年齢ですが… 


 この地球上のあちらこちらで今なお激しく続く悲惨な現実が伝えられる毎日、お互いの名前さえ知らない彼らの事が、しきりと思い出されます。


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              1975年前後のカラチの街角で。


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                                      モスクの見学について来た子供たち


 


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