1、さて、本題に
以前に連載しておりました記事の中で、
「あるスチュワーデスの思い出」シリーズだけを
このブログLilac Daysに、また、「アラスカ夏紀行」を
Lilac Days in Alaskaに復活させて参ります。
古い記事で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します。
「あるスチュワーデスの思い出」シリーズだけを
このブログLilac Daysに、また、「アラスカ夏紀行」を
Lilac Days in Alaskaに復活させて参ります。
古い記事で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します。
私は1970年から1990年までの間、航空会社に客室乗務員として勤務しました。航空業界はもちろん、日本も世界も激動した20年間でした。
旅の形も旅行者の意識も大いに変化したこの期間を、そこで青春時代の後半から、結婚、出産を経てに中年に差し掛かるまでを過ごした私個人の思い出を辿りながら、何回かに分けて描いて行きたいと思います。色褪せて行く写真と、薄れ行く記憶を頼りに…
ジャンボの窓から見えるエンジン これはずっとあと、退職後の写真です。
1970年は大阪万博の年であり、ジャンボジェットが初めて就航した年でもあります。海外旅行が庶民には夢のまた夢だった時代から、大量輸送時代へ移行して行った頃です。
私達新入生は初フライトに先立つ6ヶ月余り、前年の秋から、来る日も来る日も各種の訓練と試験の連続でした。
食事やお酒と飲み物に関する知識とサービス方法、検疫・出入国・税関その他の関連法、運航に関する国際協定、機体に関する知識、気象、各国の文化と観光、機内販売、英語、アナウンス、etc.etc.そして救急法と何より厳しい救難訓練。
こうして列挙して見ると、何と多岐に渡った事を学んだのでしょう!そしていくら若いとは言え、どうしてこんなに沢山覚えることが出来たのでしょうか…
2月に訓練生のバッジを着けてはじめてのフライトに出ました。ホノルル経由サンフランシスコ行きです。田舎の停車場のような羽田空港。ボーディングブリッジはありませんから、空港ビル近くの飛行機へはのんびりと歩いて向かいます。
この5ヶ月後にジャンボ機がやって来るのですが、それでもしばらくの間の主流は、
DC-8と、上の写真の遠くに尾翼の天辺が見えるボーイング727です。
DC-8と、上の写真の遠くに尾翼の天辺が見えるボーイング727です。
つづく
2018-09-08 13:48
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コメント(3)
70年代は北海道から東京に行くことだって外国に行くような特別な気分でしたもの。
学校の友達の中に飛行機に乗ったことがある人がまだ誰もいなかった時代でした。
あの頃のスチュワーデスさんは憧れの上の上の上の職業で、眩しく輝いていましたね。
by めぎ (2018-09-08 20:17)
xml_xsl様、めぎ様、nice!を有り難うございます。
by もとこさん。 (2018-09-09 22:11)
xml_xsl様、めぎ様、前回も今回もnice!やコメントを有り難うございます。
ちょっと事情があって閉じた物を、殆ど同じ文章で発表するのは大変気が引けたのですが、ある子供たちのグループのために、外国に関係のあるこのシリーズと、アラスカ夏紀行だけ公開することにしました。
xml_xsl様やめぎさんが再びこうして反応して下さるのは、私にとって本当に感動的ですらあります。
本当に有り難うございます。、
by もとこさん。 (2018-09-09 22:23)